西園寺公望と興津坐漁荘

日本史

西園寺公望の経歴(1849〜1940)


明治・大正・昭和の時代を
自由主義の政治家として貫いた、
日本近代の元老の1人。
高い見識に裏打ちされた文人としても知られる。

元老とは近代日本特有の政治的存在で、
後継首相の推挙をする
強力な発言権を持つ重臣のこと。

大正13年の松方公の死後、
西園寺公はただ1人、
最後の元老として任にあたった
(※西園寺75歳以後)。

興津坐漁荘パンフレットより

私は12年前から日本史が好き。
だけど歴史愛を長いこと封印していた。
旅行はお金がかかるし、
歴史のことでめんどくさい経験をたくさんしたから。

今振り返ると、
全部私の思い込みだけどね🤣
好きなものには素直にならなきゃ楽しくないよ😆
また「好き」と言えるようになるまでに
時間がかかっちゃった🤣

コロナ禍で自由に動けなくなった3年前、
日常のルーティンに疲れた私は
小旅行がしたくなった。

浮かぶのは歴史旅。
「混雑はしないだろう」と
静岡県の興津に向かう。

私の推し、西園寺公望
老後を過ごした別荘・坐漁荘
※伊藤博文・西園寺公望が私の日本史推しトップ2。

この日帰り旅で、見事に歴史再熱。
好きすぎて帰宅後ワープロ10枚にまとめたほど。

坐漁荘は明治村に移築されたものが本物。
現在の興津・坐漁荘は復元されたもの。
入館無料&写真撮影オッケーだよ!(直接聞いてきた)
あったかいなあ😭



伊藤之雄『元老 西園寺公望』

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西園寺は若い頃、海外留学をガチりすぎて、
なかなか思うように出世できなかったらしい。
でも、その勉強の下地と粘り強さが
年老いてから花開く。

西園寺公望は、92歳まで生きた人で、
「この人を後継者にしよう」
って彼が思った優秀な人たちの方が
たいてい早く死んでしまった。

先に死んでしまったのは
原敬、加藤高明、濱口雄幸、犬養毅、高橋是清などなど。
すぐに気を取り直し、
「じゃあ今は次の首相にこの人が最善かな」と
広い視野から考え続ける最後の元老・西園寺くん。

それでも「力及ばずだった」と
晩年西園寺が回想してるのも愛おしいよ😭

もし原敬くんが長生きしてたら、
歴史はずいぶん変わったかな🥺🥺

いじらしいー!!
と思ったけど、
西園寺は強いストレスのせいか、
家庭ではワガママ亭主バクハツしてたみたい🤯
何しても怒るじゃん!!
西園寺家には嫁ぎたくねえ!!
と思った本だった。

2.26事件では西園寺も、
陸軍の襲撃対象の1人だった。
昭和に入ってから
坐漁荘の警備システムも
物々しくなるよ。




やんちゃ&頑固エピソード

フランス留学時代、
友人が誤って
パリの店で窓ガラスを割った。
ボーイが不機嫌そうにしたところ、
西園寺が「弁償すれば文句ないだろう」と尋ねて、
ボーイが「そうだ」と答えたので、
西園寺は残った窓ガラスを
ステッキで全部割り、
呆れるボーイにガラス代を全部払って立ち去った。

灘万から料理人が派遣されて
西園寺家の料理は作られていた。
しかし同じ献立では
気に入らなかったために、
西園寺家に出入りする料理人は
かなり苦労したようである。
しかも気に入らないと
箸をつけないので、
たいていの料理人は1年と続かず、
4年続くと珍しがられた。

美味求眞|西園寺公望

クレイジーなのよ😂



興津坐漁荘を見学

「家庭でワガママ亭主だった」
とは知らなかったけど、
エピソードから片鱗が見えるのはたしか。

私が坐漁荘の資料で特に好きなのは、
「当時高級品だったアイスクリームを
晩年は1日置きに
東京から静岡興津まで汽車で運ばせる話」

完全に溶けてるアイスクリームを
流動食のように食べていた。
ここまで貫くと清々しい。
何より西園寺らしい雰囲気があって好き😍

坐漁荘には他にも、
西園寺の
・書道
・漢詩
・日本画
・落款(スタンプ)
などが残っている。

坐漁荘の近所の理髪屋と仲が良く、
一緒に趣味の盆栽を楽しんだとか。
多趣味なの羨ましい😭

いい老後の1つだな。
私も近所の人と関わって文化や創作活動して、
贅沢さもあるけど
どこか落ち着く別荘でゆったり過ごしたい。

老後なのにイキイキしてるところは、冗談抜きで理想形だ。

今は埋め立てられて
坐漁荘から海(三保松原)が見えないけど、
当時のあたたかい映像が
心の奥に流れ込んでくる気がした。

実際の西園寺は、
晩年そんなに悠長に過ごしていない。
ただ、私は坐漁荘に来て、
心が洗われた。
私にとって大切なものを坐漁荘は知っている。
この感覚を忘れたくなくて、
私はワープロに思い出を書き残したのだった。

上の写真は、一度見たら忘れられない、
無線の防犯ブザー(昭和初期)。

坐漁荘は建物も非常に凝っていて、
建築マニアにも注目されている。
仕掛けや防犯の面でも面白い。
視覚的に楽しめる意味でも3本指に入るぐらい、好きな遺産。

私は歴史の推したちから
エネルギーをもらっている。

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Who Was Saionji Kinmochi?
Meiji, Taisho, Showa
liberal politician.

He is one of the “Genro”and has the right to recommend the successor prime minister.
He is the “last Genro” who lived the longest among the “Genro”.

About Zagyoso
“Zagyoso” is the villa where Kinmochi Saionji lived from the age of 70.
The building was relocated to Meiji Village. “Okitsu Zagyoso” is a restored building.
It is okay to take photos at Okitsu Zagyoso.

Ito Koreyuki, Genro Saionji Kinmochi
When Saionji was young, he studied abroad for 10 years.
The fruits of your studies will become apparent only when you are older.

Saionji lived until the age of 92 before the war.
The people he wanted to succeed him as prime minister died before him.
Among those who died early are Takashi Hara.

Saionji continued to choose the best people given the circumstances.
He was persistent and maintained a broad political outlook.

Although he did his best in human resources to avoid war, he recalls that “I just didn’t have enough strength😭
I think history would have changed considerably if Hara Takashi had lived longer🥹🥹

Saionji was under a lot of stress and was selfish at home🤯
Ito’s book made me feel Saionji’s humanity.

In the 226 Incident, Saionji was also targeted by the army.
Security at Zagyoso was strengthened from the early Showa period.

Naughty, stubborn episode
1.When he was studying abroad in France, a friend accidentally broke the glass of a store.
The waiter looked displeased.
When Saionji asked the waiter, “There’s no problem as long as you pay for it, right?” and he answered, “Yes”.
Saionji broke all the window panes with his walking stick, paid the entire glass bill, and left.

2.The Saionji family’s meals were prepared by professional chefs.
Saionji didn’t like the same menu, so the chef had a hard time.
Most chefs don’t last a year.

He’s amazing🤣

Visit Zagyoso
There is one story that I particularly like from the Zagyoso materials.
In his later years, Saionji used people to transport ice cream, his favorite item, by train from Tokyo to Okitsu, Shizuoka Prefecture every other day.

He was eating completely melted ice cream like it was liquid food.
I like this episode because it’s typical of him😍

At Zagyoso
Saionji’s
·calligraphy
・Chinese poetry
・Japanese painting
・Signature (stamp)
etc. remain.

He got along well with his neighbors and enjoyed bonsai.
I envy him because he has many hobbies😭

I also want to enjoy culture and creativity in my retirement and spend some time relaxing in a villa like this.
I’m jealous of how excited you are.

It has now been reclaimed and the sea cannot be seen from here.
However, when I come here, I fantasize about the scenery back then and it warms my heart.

In the bathroom, there is a wireless security buzzer from the early Showa era.

Zagyoso has an elaborate building and is popular among enthusiasts.
This place is also interesting in terms of tricks and crime prevention.

I like this ruin so much that it ranks in my top three.


니시조지 공망이란?
메이지・다이쇼・쇼와
자유주의 정치인.
그는 ‘원로’ 중 한 명으로 후계 총리의 추천을 할 권리를 가진다.
그는 “원로” 중에서 가장 오래 살았던 “마지막 원로”.

좌어장이란?
“자교소”는 사이온지 긴모치가 70세부터 살았던 별장입니다.
건물을 메이지무라로 이전했습니다. “오키쓰 자교소”는 복원된 건물입니다.
오키츠 자교소에서는 사진을 찍어도 괜찮습니다.

이토 고레유키, 사이온지 겐모치
사이온지는 어렸을 때 10년 동안 유학을 했습니다.
공부의 성과는 나이가 들어서야 뚜렷이 드러날 것입니다.

사이온지는 전쟁 전 92세까지 살았습니다.
그가 총리직을 계승하고 싶었던 사람들은 그보다 먼저 죽었습니다.

조기 사망한 사람 중에는 하라 다카시도 있다.

사이온지는 상황을 고려하여 계속해서 최고의 사람을 선택했습니다.
그는 끈질기고 폭넓은 정치적 견해를 유지했습니다.

전쟁을 피하기 위해 인적자원에 최선을 다했지만, 그는 “그냥 힘이 부족했을 뿐이야”라고 회상한다😭
다카시 하라가 더 오래 살았더라면 역사가 많이 바뀌었을 것 같아요.

사이온지는 스트레스를 많이 받아 집에서는 이기적인 모습을 보였다.
이토의 책은 사이온지의 인간미를 느끼게 해주었습니다.

226년의 사건으로 사이온지도 군의 표적이 되었다.
자교소의 경비는 쇼와 초기부터 강화되었습니다.

장난, 완고한 에피소드
프랑스 유학 시절 친구가 실수로 가게 유리를 깨뜨린 일이 있었다.
웨이터는 불쾌한 표정을 지었다.
사이온지가 웨이터에게 “돈만 내시면 문제 없겠죠?”라고 묻자 웨이터는 “네”라고 대답했다.
사이온지는 지팡이로 유리창을 모두 부수고 유리값을 모두 지불한 뒤 떠났다.

니시조지가의 요리는 전문 요리사가 만들었다.
니시조지는 같은 식단에서는 마음에 들지 않았기 때문에 요리사는 고생했다.
대부분의 요리사는 1년 지속되지 않았다.

그는 정말 대단해요🤣

좌어장 견학
내가 좌어장의 자료에서 특히 좋아하는 이야기가 있다.
사이온지는 말년에 자신이 가장 좋아하는 아이스크림인 아이스크림을 도쿄에서 시즈오카현 오키쓰까지 기차로 격일로 사람들을 이용했습니다.

그는 완전히 녹은 아이스크림을 유동식처럼 먹고 있었다.
즐거운 에피소드 😍

좌어장에
니시조지의
・서예
・한시
・일본화
・낙관(스탬프)
등이 남아있다.

그는 이웃 사람들과 잘 지내고 분재를 즐겼다.
그는 취미가 많고 부럽다 😭

나도 노후에 문화와 창작을 하고, 이런 별장에서 천천히 보내고 싶다.
그는 활기차고 부럽다.

지금은 매립되어 여기에서 바다는 보이지 않는다.
그런데 여기에 오면 그때의 풍경이 생각나고 마음이 따뜻해진다.

욕실에는, 쇼와 초기의 무선의 방범 부저가 있다.

좌어장은 건물도 굉장히 있어 매니아가 선호한다.
여기는 장치나 방범의 면에서도 재미있다.

나는 이 유적이 톱 3에 들어갈 정도로 좋아.

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